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東京地方裁判所 昭和32年(ワ)10315号 判決 1961年12月21日

判  決

東京都立川市錦町一丁目二六番地

原告

大森新治郎

右訴訟代理人弁護士

芦田浩志

岩村滝夫

東京都千代田区霞ケ関一丁目一番地

被告

右代表者法務大臣

植木庚子郎

右指定代理人

鰍沢健三

平川国雄

渡会治吉

徳田平

右当事者間の昭和三二年(ワ)第一〇三一五号雇傭契約存在確認等訴訟事件について、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者双方の求める裁判

原告訴訟代理人は「(一)原告と被告との間に昭和二五年一一月六日締結した雇傭契約に基く法律関係が存在することを確認する。(二)被告は原告に対し金一、一八五、〇五四円を支払え。(三)訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、被告指定代理人は主文同旨の判決を求めた。

第二  請求の原因

一  当事者間の雇傭契約並びに被告の原告に対する出勤停止及び解雇

原告は、昭和二五年一一月六日被告に期間の定めなく雇傭され、我国に駐留するアメリカ合衆国軍隊(以下「軍」という。)のフインカム基地第二七一〇号エア・ペース・ウイング・ペース・モータープール(以下「モータープール」という。)の自動車運転手として勤務していたところ、被告から、日本国政府とアメリカ合衆国政府との間に昭和二六年七月一日締結された「日本人及びその他の日本国在住者の役務に関する基本契約」(以下「旧基本労務契約」という。)の附属協定第六九号(以下「所属協定」という。)の第一条a項第三号所定の保安基準、即ち、作業妨害行為、牒報、軍機保護のための規則違反またはそれらのための企画もしくは準備をなすことという第一号掲記の活動に従事する者ないしは同項第二号に定めるアメリカ合衆国の保安に直接的に有害であると認められる政策を継続的にかつ反覆的に採用しもしくは支持する破壊的団体もしくは会の構成員と、アメリカ合衆国の保安上の利益に反して行動をなすとの結論を正当ならしめる程度まで常習的にまたは密接に連けいすることというに該当するとの理由で、昭和三一年四月一三日出勤停止、次いで同年八月三日解雇の意思表示を受けた。

二  被告の原告に対する出勤停止及び解雇の意思表示の無効

しかしながら被告の原告に対する右出勤停止及び解雇の意思表示(以下両者を「本件処分」と総称する。)は、以下に述べる理由により無効である。

(一)  本件処分は、原告がその所属する労働組合の正当な行為をしたことを軍が嫌悪したためになされたものであつて、労働組合法第七条第一号の不当労働行為にあたるものとして無効である。その論拠は、次のとおりである。

1 原告の組合経歴

原告は、昭和二六年九月全駐留軍労働組合東京地区本部フインカム支部(以下「フインカム支部」という。)に加入し、以後前記出勤停止の処分を受けるまでフインカム支部の執行委員を務めていたが、その間昭和二七年度にフインカム支部の厚生部員、昭和二八年度に同じく厚生部副部長、昭和二九年度に前記地区本部の委員、昭和三〇年度にフインカム支部の苦情処理対策部員になつた。

2 原告の組合活動とこれに対する軍の態度

(1) 組織活動について

原告は、昭和二五年一一月モータープール入職以来前記基地内のコンメスという通称の兵員食堂へ専属の自動軍運転手として派遣されていたが、昭和二六年九月モータープール及びコンメスの労働者の中で最初にフインカム支部に加入した後、右両職場の従業員に対して勧誘を続け、まずコンメスにおいて長塚勝正、今野貞美、平野慎一らを同支部へ加入させ、更に同人らの協力を得て昭和二八年八月までにコンメスの従業員約一八〇名のうち約一三〇名を、外に原告自身の活動によつて昭和二九年頃までにモータープールにおいても約一〇〇名の従業員をそれぞれ同支部に加入させるに至つた。

原告は、右のようにフインカム支部の拡大強化に努力していた間に昭和二八年八月コンメスにおける人事管理の責任者である宋国祐から、他の職場に属する者がコンメスで組合活動をしないようにとの注意を受けたのであるが、それは、当時宋国祐において、原告がコンメスの職場内にフインカム支部への加入申込用紙を持込んで、従業員にその加入を勧誘していることを察知してこれを阻止しようとしたがためであつた。

(2) ストライキの際における活動その他について

(イ) 原告は、フインカム支部が行つたフインカム基地における人員整理反対のための昭和二八年八月一一日におけるストライキと旧基本労務契約改訂要求のための同年同月一二日及び一三日におけるストライキに際して、第二ゲート前のピケ隊の隊長として活動したが、当時その状況を軍側から写真に撮影された。

(ロ) 昭和二八年八月一〇日軍がフインカム支部による翌日のストライキ決行に対抗するため勤務を終つたコンメスの従業員に帰宅することを許さなかつたことがあつたとき、原告は、フインカム支部の執行部にその旨を連絡し、かくして同支部三役と軍との交渉がなされ、その結果コンメスの従業員は帰宅することができた。

(ハ) このようなことがあつて右ストライキの終つた直後、部下から原告の活動状況を聞知したコンメスの隊長ウイッテル大尉から、再びストライキを煽動したりすることがあれば首にするといわれて、原告は、筋金入りの自分の首がたやすく切れるものではないとやれ返したことがあつた。

(ニ) 右ストライキの直後からコンメスにおいて、従業員の休憩時間中の組合活動が禁止されたので、原告は、コンメスの従業員の今野貞美と共にウイツテル大尉にその解除を求めて交渉したが、その際同大尉から今野貞美に、従業員に対する待遇は十分であるから、あえて組合活動の必要がない旨の回答がなされた。

(ホ) 原告は、昭和二九年九月一四日全駐留軍労働組合が行つた全国ストライキの直前ウイッテル大尉よりそれに参加すれば解雇するといわれたにもかかわらず、これに従わないで、フインカム基地の第三ゲート前のピケ隊の隊長として右ストライキのために活躍した。

(ヘ) 原告は、ウイッテル大尉の後任としてコンメスの隊長になつたマコーミック大尉からもその組合活動のために注目されていた。

(3) 特に原告が出勤停止の処分を受ける直前当時のコンメスにおける組合活動の状況について

(イ) 昭和三〇年暮コンメスと同様マコーミック大尉の指揮下にあつた、通称をNCOメスという下士官食堂へコンメスの従業員でフインガム支部に加入していた十二、三名の者が配置転換されたことがあつたが、それまでNCOメスの従業員には労働組合員がいなかつた。そこで原告と今野貞美が中心になつて、右のとおり配置転換された組合員を通じてNCOメスの従業員にフインカム支部への加入を呼びかけた。この勧誘によりフインカム支部の組織活動に積極的に協力するようになつたNCOメスの従業員佐々木けい子が、右活動に呼応して休憩時間中に他の従業員に働きかけたという理由で、昭和三一年春マコーミック大尉から戒告処分を受けた上、今後そのような行為を繰返すなら辞めてもらいたいとまでいわれたため、結局自発的に退職せざるを得なくなつたということがあつた。

(ロ) その頃、前記のとおりコンメスからNCOメスに配置転換されたフインカム支部の組合員が軍から指定の日に有給休暇をとるよう命ぜられたにもかかわらず割当に従つて有給休暇をとらせようとする軍の方針に反対していた同支部の指令に基いて、右指定日にも出勤していたところ、明確な理由を示されることなく順次再びコンメスへ配置転換されるに至つたについて、その頃開かれた職場大会において、不当労働行為にあたる右のような再配置転換に対し反対闘争をすべきである旨の決議がされたのに基いて、原告は、労働委員会に救済申立の手続をとるべく、フインカム支部の執行委員として努力を続けていた。ところがその間昭和三一年四月九日に当時コンメスから選出のフインカム支部の執行委員であつた今野貞美が、次いで同月一三日原告がそれぞれ出勤停止の処分を受け、原告は、その後遂に前述のとおり同年八月三日に解雇の意思表示を受けてしまつたのである。

3 本件処分の真の理由

叙上のような諸般の事情の外に、後段において詳述するとおり、原告に本件処分の理由とされたような保安基準に該当する事実がないことからすると、本件処分の真の理由は、原告をその職場における組合活動の中心人物としてかねて嫌悪した軍が、保安上の危険のあることを口実とし原告を職場から排除することによつて、その職場における組合活動を萎縮させることを狙つたところにあるものとみるべきである。

(二) 仮に本件処分が不当労働行為にあたらないとしても、本件処分は、その要素に錯誤が存したのであるから無効である。

被告により本件処分の理由としての附属協定第一条a項第三号所定の保安基準に該当するものとされた具体的事実なるものは、当時フインカム基地において組織されていた破壊的団体の下部単位組織の長の地位にあり、かつて軍の労務者として同基地に勤務し、フインカム支部の執行委員をしていて保安解雇された者と原告が密接に連けいし、その団体の構成員と同程度の活動をしていたということである。

さて右にいわゆる破壊的団体は日本共産党を指称するものであることに疑いがないところ、当時フインカム基地に同党の下部単位組織である細胞が存在していたことは明らかでないのみならず、かつてフインカム支部の執行委員をしていた駐留軍労務者で保安解雇された者といえば、片居木清吉、滝瀬清俊及び雨宮清の三名であるが、いずれも同党の党員ではなく、従つて前記基地において細胞の長をしていたことはない。しかるに軍から原告について附属協定所定の保安基準該当事実の有無に関して意見を求められた調達庁長官は、原告に前示のごとき具体的事実があるものと誤認してそのとおりの意見を具申した。

本件処分は、この意見を聞いた軍からの要求に応じてなされたのであるが、その理由たる事実について前叙のような誤認を犯したものであるから要素に錯誤があるものとして無効である。

(三) 仮に右主張が理由のないものであるとしても、本件処分の理由を構成する具体的事実が前述のとおりのものとされていたからには、そのような事実の存否のいずれの場合であるかを問わず、要は原告の政治的信条を理由として本件処分がなされたに他ならず、してみると本件処分は、日本国憲法第一四第及び労働基準法第三条に違反するものであつて無効である。

三  当事者間の雇傭関係の存続

上述のいずれの理由からするにせよ、本件処分は無効であるから、原告と被告との間における昭和二三年一一月六日に締結された雇傭契約に基く雇傭関係には、本件処分によつていささかの消長も生じなかつたものといわなければならない。しかるに原告は、既述のように昭和三一年四月一三日被告より出勤を停止させられた時から労務の受領を拒絶されているけれども、もとより被告に対する給与請求権を失うものでないところ、その内訳は左のとおりである。

(一)  原告が前記出勤停止処分を受けるまで被告から支給されていた給与には、月の初日から末日までを区切りその翌月一〇日ごとに支払われる基本給、時間外手当、有給休暇出勤手当、軍休日出勤手当及び扶養手当とその他に毎年随時に支払われる夏期手当及び年末手当とがあつたのであるが、以下において、その内容を説明し、合わせて原告が被告に対して請求し得べき金額を提示する。

(1) 基本給

駐留軍技能工系労務者給与規程(昭和二三年四月一〇日付特調庶発第四四六号)の総則中7及び10によつて決定されるもので、賃金基準表に基く基本給月額を基礎にしてその月の実働時間数に応じて支給額が計算されるが、原告に関するものは、次のとおりである。

(イ) 基本給月額

a 出勤停止処分を受けた当時の昭和三一年四月分から同年六月分まで、一ケ月分金二〇、二八〇円

b 本件処分がなければその後昇給等により左のごとくなるはずであつた。

昭和三一年七月分から昭和三二年三月分まで、一ケ月金二〇、四二〇円(昭和三一年七月一日に昇給が予定されたことによる。)

昭和三二年四月から同年六月分まで、一ケ月分金二一、六九〇円(従前の月額が賃金基準表の最高額であるため、給与規程の総則中17に基く駐留軍労務者昇給規程(昭和二六年特調乙発第三二七号)により以後昇給の余地がなかつたところ、昭和三二年四月に賃金基準表の改訂があつたことによる。)

昭和三二年七月分から昭和三四年三月分まで、一ケ月金二二、〇二〇円(昭和三二年七月一日右昇給規程が改正され、基本給月額が賃金基準表の最高額に達してから一年以上満足すべき勤務をした者には一回限り直近の期日(一月、四月、七月及び一〇月の各一日のいずれか)に金三三〇円の昇給が認められることになつたにつき、原告は、従来の勤務成績にかんがみ、本件処分さえ受けなければ当然同年七月一日に所定の昇給にあずかつたはずである。)

昭和三四年四月分から昭和三五年三月分まで、一ケ月分金二二、三五〇円(附属協定の改正により昭和三四年四月一日付で昇給したはずである。)

昭和三五年四月分から、一ケ月分金二三、〇五〇円(賃金基準表の改訂による。)

(ロ) 基本給支給額

昭和三二年九月分までは前示給与規程の総則中7及び10により、基本給月額を技能工系労働者の月間所定労働時間数である一七六で除したものにその月の稼働時間数を乗じて算出されることになつていたところ、同年一〇月分以降は「アメリカ合衆国軍隊による日本人及び通常日本国に居住する他国人の日本国内における使用のための基本労務契約」(以下「新基本労務契約」という。)の細目書中ⅡA節Cにより、基本給月額をその月の所定労働時間数で除したものにその月の稼働時間数を乗じて算出されることとなつた。

原告の労働時間は毎週の土曜日及び日曜日を除き一日八時間ずつと定められていたから、昭和三一年四月から昭和三五年六月までの各月における所定労働時間は別表第一の「基本給」欄中(2)記載のとおりであるところ、本件処分さえなければ、原告は右所定時間全部にわたつて勤務し得たはずである。してみると昭和三二年四月分から昭和三五年六月分までの基本給として原告が支給を受くべかりし金額は別表第一の「基本給」欄中(3)記載のとおりである。

(2) 時間外手当

技能工系労務者の時間外労働に対する手当としては、昭和三二年九月三〇日までは前示給与規程の総則中14により、月間の稼働時間が所定労働時間である一七六時間を超えたときに、一時間あたり基本給月額の一七六分の一・五の割合で算出した金額が支給されることになつていたが、同年一〇月一日以降は新基本労務契約の細目書中ⅡA節5により、その月の稼働時間が所定労働時間を超える一時間ごとに、基本給月額の所定労働時間一時間あたりの金額の一・五倍に相当する金額が支給されることになつた。

ところで原告の一ケ月の所定労働時間は前述したとおり一七六時間であつたが、原告は、毎週本来なら非番の土曜日にも常時出勤して八時間の時間外労働をしていた。従つて原告は、本件処分さえ受けなかつたならば、昭和三一年四月から昭和三五年六月までの各月に別表第一の「時間外手当」欄中(1)記載のとおりの時間にわたる時間外労働をしたはずであり、これによつて支給されたはずの時間外手当の額は同欄中(2)記載のとおりである。

(3) 有給休暇出勤手当

昭和三二年九月三〇日までは前示給与規程の総則中18及び21により、技能工系労務者は月に二日の有給休暇をとることができるが、それをとらずに出勤した場合には、その一日につき基本給月額の二二分の一が加給されることになつていたし、同年一〇月一日以降は新基本労務契約の細目書中ⅠD節1により、常用労務者が月の所定労働日の四〇パーセント以上八〇パーセント未満を勤務したときには八時間、同じく八〇パーセント以上を勤務したときには一六時間の休暇をその月においてとる権利を取得するものとされ、その休暇をとらなかつた者には、その月の賃金の支払時に休暇に代わる賃金として通常の勤務時間の場合の賃金率による金額を支給するものとされるに至つた。原告は、出勤停止処分を受ける以前常に月二日(労働時間にして一六時間)の有給休暇請求権を取得していながら、これを行使しないでいたのであつて、本件処分以後においても同様の勤務態勢を継続していたはずであるから、別表第一の「有給休暇出勤手当」欄記載のとおり昭和三一年四月分から昭和三五年六月分までの有給休暇出勤手当を請求し得るのである。

(4) 軍休日出勤手当

昭和三二年九月三〇日までは前示給与規程の総則中11、18及び21により、技能工系労務者の休日には所定労働日に属しない一般の休日の外に、本来ならば労働日であるものが軍の祝祭日として軍の現地機関によりその都度指定されるところの軍休日というものがあり、この軍休日は有給休暇として取扱われるが、その日に出勤を命ぜられて労働した場合には、上述した有給休暇出勤手当と同額の手当が加給されることになつていたところ、同年一〇月一日以降は新基本労務契約の細目書中ⅡA節6により、同細目書中、Ⅱ1eに定めた祝日が労務者の通常の所定勤務日にあたる場合には、労務者は給与の支給上その祝日に勤務したものとみなされ、労務者が祝日に勤務した場合においてその日がその者の所定勤務日にあたるときは重複して給与を支給するものとし、祖日給の額は時間外手当の例による一時間あたりの額の一〇〇分の二〇〇に相当する金額を単位として、これに当該祝日に勤務した時間数を乗じたものとされることになつた。ところでいわゆる軍休日は、昭和三二年九月三〇日までは毎年一月一日、二月二二日、五月三〇日、七月四日、九月の第一月曜日、一一月一一日、一一月の第四木曜日及び一二月二五日の八日であつたところ、同年一〇月一日以降はその外に一月二日及び一二月三一日が加えられて合計一〇日となつたのである。原告は、出勤停止処分を受ける以前には常に全軍休日に出勤していたのであつて、本件処分以後はおいてもその勤務状況に変化はなかつたはずであるから、原告が昭和三一年四月分から昭和三五年六月分までの軍休日出勤手当として請求し得るのは別表第一の「軍休日出勤手当」欄記載のとおりである。

(5) 扶養手当

技能工系労務者に対する扶養手当は、昭和三二年九月三〇日までは前示給与規程の総則中16により、同年一〇月一日以降は新基本労務契約の細目書中ⅡB節3によつて支給されるものであるが、扶養家族として配偶者と満一八才未満の長子とを有する原告に対してはその一人あたり月額金六〇〇円、合計金一、二〇〇円が別表第一の「扶養手当」欄記載のとおりに支給されるべきである。

(6) 夏期手当及び年末手当

駐留軍労務者に対しても毎年夏期手当及び年末手当が支給されて来ているが、昭和三一年四月から昭和三五年六月までの間に原告が支給を受くべかりし夏期手当及び年末手当の額は、別表第一の当該個所に記載したとおりである。

(二)  以上のごとく本件口頭弁論終結当時既に履行期の到来した、即ち昭和三五年六月三〇日現在における原告の被告に対する給与請求権の金額の合計は、金一、八一五、〇五四円になるが、原被告間の当庁昭和三二年(ヨ)第四〇〇六号地位保全仮処分事件についてなさた原告勝訴の決定に基き原告は被告から合計金六三〇、〇〇〇円を受領ずみであるので、両者の差引残額は金一、一八五、〇五四円である。

四  要約

かくして原告は本訴において被告に対し、原告と被告との間に昭和二五年一一月六日締結された雇傭契約に基く法律関係の存在することの確認と右金一、一八五、〇五四円の支払を請求するものである。

第三  答弁

一  請求の原因についての認否

(一)  第一項の事実は認める。

(二)  第二項については、(一)の2(1)中原告が昭和二五年一一月入職以来モータープールからコンメスに自動車運転手として派遣されていたこと及び同上(2)(イ)中原告主張のようなフインカム支部によるストライキのあつたことは認めるが、その余はすべて争う。

(三)  第三項については、原告主張の前提事実が肯定される限りにおいて、原告が被告に対し昭和三一年四月一日から昭和三五年六月末日までの間における給与として別表第一記載のとおりのものを請求する権利のあることは争わないが、そのような請求権の実在しないことについては、後段で説明する。

二  本件処分の効力に関する被告の主張

(一)  本件処分は、軍の保安上の必要に基き附属協定所定の手続に従つて行われたものであるが、そのような保安上の必要の存否については、当然のことながら、当該労務者を引続き雇傭することがアメリカ合衆国政府の利益に反するか否かという立場からなされる軍の判断に従うべきことに旧基本労務契約で定められているところ、この点に関する軍の判断の形成過程において当該労務者の組合活動が考慮されるということはまつたくあり得ない建前になつており、原告に対する本件処分の場合ももとよりその例外ではなかつた。

昭和三一年四月二三日調達庁長官に対し軍から原告について附属協定所定の保安基準該当の容疑に関する意見が求められたところより、調達庁と東京都立川渉外労務管理事務所とでそれぞれ調査した結果、右容疑を肯定すべき資料を発見し得なかつた後者と右のような資料を発見した前者の双方からそれぞれその旨の意見を軍に回答した。かくてこれらの意見と自ら収集した資料を綜合して原告が附属協定第一条項第三号の保安基準に該当するものと認定した軍の要求に基いて、被告は原告に対し結局解雇の意思意示をしたのである。

軍が原告を前記保安基準に該当する者と認定するに至つた経緯または資料については、前述した以上に明らかにするすべがないが、右に述べたようなことの外に、原告の主張にかかるその組合経歴及び組合活動の状況がたとえそのとおりであつたとしても、原告が特に労働組合の活動家として軍の注目をひき、その嫌悪を買つていたものとは到底みられないことからいつて、本件処分につき不当労働行為の成立を云々する余地は存しないというべきである。

(二)  本件処分が要素の錯誤に基くものであるとかまたは原告の信条を理由としたものであるとかいう原告の主張がすべて失当であることも明らかである。

三  原告の給与請求権に関する主張に対する被告の反論

本件処分が仮に無効であるとしても、被告は原告に対しその主張するような給与支払の義務を負わない。

(一)  原告は、本件処分のため被告との間の雇傭契約に基く労務に服することができなくなつたものであるところ、本件処分が前出二の(一)で述べたような事情と経緯の下になされたものであること及び軍の保安上の危険を理由として駐留軍労務者に対し出動停止ないしは解雇の処置がとられる場合においての被告と軍との関係、特に当該労務者に保安基準該当の事実があり、右のような処置を講ずべきかどうかを決定する権限は制度上軍に専属せしめられている実情であることからするときは、原告の雇傭契約上の債務についての前示履行不能は被告の責に帰すべき事由に起因するものといえないから、危険負担に関する民法所定の原理からして、原告は、被告より反対給付即ち給与の支払を受ける権利を有しないというべきである。

(二)  仮に右主張が是認されないとしても、被告が原告に対し昭和三一年四月から昭和三五年六月までの間に支給すべかりし給与は、別表第二の当該欄記載のものにすぎない。

原告主張の給与規程においては、軍の都合により労務者を休業させた場合(一般的に基地の都合上労務者を就労させることができなかつた場合のみならず、特定の労務者について生じた事由に基き当該労務者を就労させることができなかつた場合をも含む。)には、その一日につき労働基準法所定の平均賃金の一日分の六割に相当する休業手当を支給すれば足りる旨が定められ、昭和三二年九月三〇日まで存続した全駐留軍労働組合と被告との間の労働協約でも同趣旨のことが確認されていたのであるが、原告主張の新基本労務契約においては、労務者がアメリカ合衆国政府の都合により正規の所定勤務時間中に勤務することを許されない場合には、正規に勤務した場合に支給すべき給与の一〇〇分の六〇を支給するものと定められた。ところでいわゆる間接雇傭にかかる駐留軍労務者に対する給与は一旦被告によつて支払われ、アメリカ合衆国から被告にその補償がなされるものであることが新旧いずれの基本労務契約においても約定されているのにかんがみるときは、被告が駐留軍労務者に対して支払の責に任ずべき給与は、右補償を受け得る範囲内のものに限られる訳であり、この趣旨に即応して前記のごとき休養の場合における手当の支給に関する定めもなされたものであるから、これらの定めは、駐留軍労務者の休業が軍の都合に基くものであつて、法律上の雇傭主である被告の責に帰すべき事由によるものとされる場合においても、労働基準法第二六条及び民法第五三六条の各規定を排して、被告の当該休業にかかる労務者に対する給与支払義務の限度を規制するものとして適用されるのである。

本件処分を受けたため以後就労することができなくなつた原告は、仮に本件処分が無効であつた場合でも、前述したような軍の都合により休業させられたものないしはアメリカ合衆国政府の都合により正規の所定勤務時間中に勤務することを許されなかつたものとして、被告に対し、出勤停止処分以後昭和三二年九月三〇日までは前示給与規程の定めるところにより平均賃金の六割に相当する金員を、同年一〇月一日以降は新基本労務契約の定めるところにより正規に勤務した場合に支給すべき給与の一〇〇分の六〇に相当する金員の支払を請求することができるだけであり、別表第二中の休業手当は右によつて算定したものである。なお、別表第二においては、原告の基本給月額が昭和三一年七月分から昇給により、昭和三二年四月分及び昭和三五年四月分からそれぞれ賃金基準表改訂によつて増額したものとして取扱われ、昭和三二年九月三〇日までの間における有給休暇出勤手当が調達庁労務部長の各都道府県知事あて「休業を命ぜられた者に対する諸給与の支給について」と題する通達(昭和三〇年調労発第三六七号)に従つて加算され、軍休日出勤手当が原告主張のとおりの軍休日に関し昭和三二年九月三〇日までの間におけるものは右通達に従い、同年一〇月一日以降のものは新基本労務契約の細目書中ⅠA節6の定めに基いて加算されている。

(三)  仮に以上の主張が理由がない場合においても、被告が原告に対し支払義務を負う給与は、出勤停止期間中にあつては基本給(月額の昇給したときにはこれを基準とするもの)、時間外手当、有給休暇出勤手当及び扶養手当、解雇の意思表示以後にあつてはその時点における基本給月額に基く基本給、時間外手当(昭和三二年九月三〇日までの間においては原告の稼動時間が出勤停止処分前と同様に毎週四八時間を下らなことがモータープールからコンメスへ派遣される自動車運転手であることによつて予測されたので、この予測に基くその月における稼動時間が所定勤務時間の一七六時間を超える場合についての時間外手当(昭和三〇年一〇月一日からは、原告のような自動車運転手についても週間の稼動時間が短縮されたため、時間外労働の機会がなくなつた。)及び扶養手当の外、右両者の期間に通ずるものとしての夏期手当及び年末手当に限られ、現実の勤務を前提とするその余の給与は当然除外されるべきである。別表第三は、右に述べたような給与の支給額と支給ずみ額の明細を示したものである。

第四  証拠関係(省略)

理由

第一  当事者間の雇傭関係の成立及び本件処分

原告が昭和二五年一一月六日被告に期間の定めなく雇傭され、原告主張のとおりフインカム基地内で自動車運転手として勤務していたところ、被告から、原告の主張するような附属協定第一条a項第三号所定の保安基準に該当することを理由に、昭和三一年四月一三日出勤停止処分、次いて同年八月三日解雇の意思表示を受けたことは、当事者間に争いがない。

第二  本件処分の効力

原告は、大件処分が無効であると主張するので、以下その理由とするところについて順次検討する。

一  まず本件処分が労働組合法第七条第一号所定の不当労働行為にあたるかどうかを判断する。

(一)  原告の組合経歴

(証拠)によると、原告は、昭和二六年九月フインカム支部に加入し、昭和二七年三月頃同支部の執行委員に選出され、以後引き続いて本件処分を受けるまでその職にあつたが、その間昭和二七年度には同支部の厚生部員、昭和二八年度には同支部の厚生部副部長、昭和二九年度には全駐留軍労働組合東京地区本部の委員、昭和三〇年度には右支部の苦情処理対策委員を、それぞれ勤めたことが認められる。

(二)  原告の組合活動とこれに対する軍の態度

(1) 原告の主張する組織活動について

原告が被告に雇傭されてフインカム基地に入職以来所属職場のモータープールからコンメスへ専属の自動車運転手として派遣されていたことは当事者間に争いがなく、原告が昭和二六年九月フインカム支部に加入したことは上述のとおりであるところ、(証拠)を綜合すると、原告がフインカム支部に加入するまで、モータープール及びコンメスのいずれの職場にも労働組合に加入している従業員がいなかつたのであるが、原告は、当時フインカム支部の組織部長であつた山下某の勧誘に応じて卒先して同支部に加入すると共に、食事その他休憩の時間などを利用して同支部の組合員を獲得すべく勧誘、説得に努めた結果、まずコンメスの従業員の中から今野貞美、長塚勝正、平野慎一その他数名を加入させることに成功し、更に同人らの協力を得て他の従業員に対する呼びかけを繰返したので、コンメスにおいては昭和二八年八日頃までにその全従業員約一八〇名のうち約一三〇名が同支部に加入するに至つた一方、モータープールにおいても、原告に次いで間もなく三〇数名の加入者が出た後、昭和二九年頃までに同支部の組合員が約一〇〇名に達したことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

ところで原告が昭和二八年八日頃コンメスの人事管理の責任者である宋国佑から職場内にフィンカム支部への加入申込用紙を持込んだとの疑いを受けて、本来の職場でないコンメスにおいて組合活動をしないようにとの注意を受けたことがあるとの原告の主張については、その趣旨に副う(証拠)はいずれも措信できず、かえつて(証拠)によると、宋国佑が原告に対して注意を与えたことは、昭和二八年中にコンメスの職場内を見廻つた際、野菜部屋、倉庫の机の上、ラジエーターの上などに組合の機関紙やパンフレット様のものが置いてあつたのを発見して、その所持者を確かめたところ原告であるということであつたので、原告に対し、食堂として衛生管理の特別にやかましいコンメスの内へ右のような職務外の書類を持ち込まないよう警告した以外にはないことが認められる。その他原告がその主張にかかる組織活動によつて軍の注目をひき、その嫌悪を買つていたようなことのあつたことを証明するに足りる証拠は存しない。

(2) ストライキの際における原告の活動について

(イ) フィンカム支部が昭和二八年八日一一日にフィンカム基地における人員整理反対のため、同日一二日及び一三日に旧基本労務契約改訂要求のためそれぞれストライキを決行したことは、当事者間に争いがないところ、(証拠)を綜合すれば、原告は、右のように三日間にわたつたストライキに際し、フンィカム基地第二ゲート前のピケ隊の隊長として隊員の指揮及び激励にあたつたが、その現場を軍側の者に撮影されたことがあつたこと、その他原告は、右ストライキの初日の朝前夜からの勧務を終えて帰宅しようとするコンメスの従業員に対し、職場の監督者から残留が勧告されたことがあつたについて、当該従業員の一人からその旨の連絡を受けたので、直ちにフィンカム支部の執行委員会に通報し、これに基いて同支部の三役が軍の当局と交渉し、現地調査も行われた結果、全員帰宅することができたという事件のあつたことが認められる(上掲(証拠)中、前示当日コンメスの従業員が基地内に残留を強要されて罐詰めになつたことの趣旨の部分は措信し難い。)。

さて原告は、右ストライキの終了直後、コンメスの隊長ウイッテル大尉が前記のような原告の活動状況を聞知して原告に向つて、再びストライキを煽動するようなことがあれば首にするといつたのに対し、原告は筋金入りの自分の首がたやすく切れるものではないとやり返したことがあつた旨主張し、(証拠)中には右主張に副う陳述記載ないしは供述があるけれども、(証拠)中、原告とウィッテル大尉との間に前記のような応酬があつたということを、当時原告から聞いたことがある旨の伝聞を録取した部分と共に措信することができず、他に原告の右主張事実を認めるに足りる証拠はない。

(ロ) 前掲(証拠)によると、昭和二九年九日中に全駐留軍労働組合による全国ストライキが行われたときにも、原告はフィンカム基地第三ゲート前のピケ隊の隊長として前示(イ)の前段の場合と同様の役割を果したことが認められる。ところで原告は、右ストライキの直前ウィッテル大尉からそれに参加すれば解雇するといわれた旨主張し、(証拠)中には、その趣旨において右主張に合致する陳述記載または供述がみられるけれども、いずれも措信できない。

(3) その他の原告の組合活動について

原告は、前述の昭和二八年八月中フィンカム支部により行われたストライキの終つた直後からコンメスにおいて休憩時間中の組合活動が禁止されたので、原告と今野貞美がコンメスの隊長ウィッテル大尉にその解除を求めて交渉した旨主張し、(証拠)中にはそれぞれ右主張と同趣旨の供述が録取されているけれども、左の証拠に照して措信し難い。即ち、前記(証拠)を綜合すると、コンメスにおいては、従来からも一般の例にならつて、休憩時間中の組合活動については会合を持つとかその他組織立つたものは許されていなかつたのであつて、原告主張の頃に特に改めて休憩時間中における組合活動を禁止するような処置がとられ、これに対して原告なり今野貞美なりがその解除を要求して宋国佑やウイッテル大尉その他軍側要員と交渉したようなことはなかつたが、ただその頃フィンカム支部の役員からコンメスの人事管理責任者である宋国佑に、労務者専用の休憩室を設置して、そこで休憩時に組合活動をすることを認めてもらいたいとの申出がなされたけれども、建物にそのための余裕がないとして休憩室開設に関する要望は容れられなかつたということのあつたことが認められるだけである。そうだとすれば、今野貞美から原告主張のようにコンメスにおける休憩時間中の組合活動の禁止措置についての解除要求を受けてウイッテル大尉が従業員に対する待遇の十分なところに組合運動の必要はないと答えた旨の陳述を録取した(証拠)中の記載は自らいずれも措信するに由ないものといわなければならない。

更に(証拠)には、原告がウィッテル大尉の後任者のマコーミック大尉からも「レーバーユニオンの班長」と呼ばれたことがあつたとの趣旨のものがあるけれども、そのことが原告の組合活動に対して注目していたことの現われでもあるようなことを認めるに足りる証拠はない。

(4) 特に原告が出勤停止処分を受ける直前当時のコンメスにおける組合活動の状況について

(イ) (証拠)によると、昭和三〇年三月頃からフィンカム基地内の軍属食堂、通称シヴィリアンメスが廃止されるのに伴つてNCOメスの規模が拡大されることになつたので、その頃コンメスの従業員の中からフィンカム支部に加入している者十二、三名を含む約二〇名がNCOメスに配置転換されたこと、それまでNCOメスの従業員には労働組合に加入している者がいなかつたところから原告と今野貞美が中心になつて、右の配置転換によりフィンカム支部の組合員がNCOメスに勤務することになつた機会をとらえてその職場の従業員に働きかけて同支部へ加入をさせその組織を拡大する方針を立てその実行運動を展開したため、その後NCOメスにおいてもフィンカム支部の組合員が次第に増加して行つたことが認められる。(中略)ところで原告は、上述のようなNCOメスにおけるフィンカム支部の組合員獲得運動に積極的に協力したNCOメスの従業員佐々木けい子が昭和三一年春NCOメスの監督官でもあつたマコーミック大尉から戒告されると同時に、更にそのような行動を繰返えすというのであれば辞めてもらいたいともいわれたため、遂に退職を申出ることを余儀なくされたということがあつたと主張するけれども、これに符合する(証拠)は措信するに足りないのみならず、証人(省略)の証言によると、佐々木貞子というNCOメスの従業員(原告の挙げている佐々木けい子と称する女性と同一人であるが、「けい子」という名前は誤りである。)が昭和三〇年五月頃任意退職をしたことがあるが、それより先同年三日頃部下の食堂ウエイトレス某との間の醜聞がしきりに取沙汰されていることを知つたマコーミック大尉が調査の結果、佐々木貞子がさような事実無根の噂をいいふらしたことを突きとめて、口頭できつく同人を叱責したことがあつた後で、前述のとおり同年五月頃佐々木貞子からその申出がなされたというのが同人の任意退職のいきさつであることが認められる。

(ロ) 前掲(証拠)によると、叙上のようにコンメスからNCOメスへ配置転換された者のうち、いずれもフィンカム支部に加入していた宮田信雄外五名が間もなく元の職場へ配置替えされたことを認めることができるところ、前掲(証拠)によると、丁度その頃軍においてその予算の都合上有給休暇出勤手当の支出を節滅する必要が生じたため、労務者に軍の指定するところに従つて所定の有給休暇をとらせ、該当日には出勤させないようにしようとの方針を定めたのであるが、フィンカム支部はこれに反対し、軍から休暇をとるよう命ぜられた組合員に指令して軍の命令にかかわらず、当日も出勤し就労させるという闘争を行つたことが認められるが、前記のごとくフィンカム支部の組合員である宮田信雄外五名がNCOメスからコンメスへ再度配置転換されたことが右のような有給休暇出勤停止反対闘争その他の同人らの組合運動に原因するものであるという(証拠)はいずれも措信し難く、証人(省略)の証言によるときは、前述のような配置転換のやり直しをしたのは、コンメスからNCOメスに移つて来た従業員の中に、コンメスよりは高級な食堂であるNCOメスの仕事に適しないとみられるものがあつた外、利用者の増加を見越して右のような配置転換によりNCOメスの従業員をふやしたのに、その後における実績からみてそれほどの増員を必要とせず、むしろコンメスの方で人手不足を生じていることが判明したからであつて、旧職場のコンメスへ戻すべき従業員の選別は当人の能力及び成績の評定に基いて行われたものであつて、組合活動の有無及び程度などは全然考慮に入れられなかつたことが認められる。しかしながらその点はともあれ、(証拠)によると、フィンカム支部では、逸早く、右のようにNCOメスからコンメスへ組合員を再度配置転換したのは当人らのNCOメスにおける組合活動を理由とするもので不当労働行為にあたるから、これが撤回を要求して闘争すべきであるとの態度をとつたのであるが、原告は、労働委員会に救済の申立をすべきことをフィンカム支部の執行委員会において提案したことが認められる。

(三)  不当労働行為の成否

上来判示したところに基いて考察するに、原告は、フィンカム支部の執行委員としてずつと組合運動に従事して来たものであつて、たとえその一々の行動が逐一具体的に軍に知られていたとまではいえないにせよ、少なくとも原告の職場における軍側要員が原告の組合運動について全然覚知するところがなかつたものとはとうてい思われないけれども、軍において原告の組合運動に着目して原告を職場外に放逐すべくその機会を窺つていたというほどにかねてから原告を嫌悪していたものとは認められないし、特に原告が被告から出勤停止処分を受けた時期に接着して展開された、NCOメスにおけるフィンカム支部の組織大活動、有給休暇出勤停止反対闘争及びコンメスからNCOメスに配置転換された従業員の旧職場復帰処置に対する撤回要求運動などのためにする原告の行動なり動静がことさら軍を刺戟しその注目をひいたとは、原告のその間に果した役割等から推してたやすくは肯定されないところである。しかも一方において、本件処分の理由は、先にも判示したとおり原告が附属協定第一条a項第三号所定の保安基準に該当する者であるというにあつたことが当事者間に争いないところ、その具体的な事実については本訴において被告から明示されるところがないけれども(証拠)によれば、昭和三一年四月二三日軍から原告に附属協定所定の保安基準該当の事実が有るかどうかについて意見を求められて被告の行政機関である調達庁長官は、調査の結果により、原告はフィンカム基地において組織されている破壊的団体の下部単位組織の長の地位にあつた者と密接に連けいし、当該団体の構成員と同程度の活動をしており、附属協定第一条a二項第三号に該当するものと思料される旨の回答を同年六月二八日にしたところ、折返し軍から原告を解雇すべき旨の要求があつたので、被告より原告に対しその意思表示がなされたことが認められる。叙上のような諸般の事情にかんがみるときは、被告の原告に対する本件処分は、専ら原告に附属協定所定の保安基準該当の事実があることを理由としてなされたものと解さざるを得ないのである。

さすれば本件処分をもつて労働組合法第七条第一号に掲げる不当労働行為にあたる無効のものであるという原告の主張は失当であるといわなければならない。

二 つぎに本件処分に要素の錯誤があつたかどうかにつき案ずるに、この点に関する原告の主張の要旨は、本件処分の理由とされた附属協定第一条a項第三号の事由に該当する事実が実在しないのにかかわらず、軍も被告もその点につき誤認を犯したことにおいて、本件処分の要素に錯誤があつたというに帰する。

(証拠)によつて知り得られる、附属協定において駐留軍労務者に対する保安上の危険を理由とする出勤停止及び解雇の手続について定められているところに徴すると、駐留軍労務者に対する保安解雇及びその前提措置としての出勤停止処分に関してその理由となるべきいわゆる保安基準該当の事実、換言すれば軍の保安上の危険の存否ということについての最終的認定の権限は軍の掌握するところであり、軍よりその要求がなされた以上、被告は、たとえ軍の認定に承服できなくても必ず当該労務者に対して所要の処置を講ずべきことを義務づけられているのであつて、保安基準に該当すべき事実の存在することが駐留軍労務者に対して被告が前記のような処置を行うについての効力要件として定められたものとは解されないのみならず、駐留軍労務者の解雇についても特に正当の事由の存在することが要求されるものではないことからいつて、本件処分がその要素に錯誤のあつたものとして無効であるという原告の主張は、その独自の見解に基くものとして排斥する外ないのである。

三 最後に原告が本件処分の効力を争う最後の根拠として主張するのは、本件処分が専ら原告の政治的信条を理由としたもので、日本国憲法第二一条及び労働基準法第三条の各規定に違反するというにある。

前出一の(三)において説明したところに照して当然のことながら本件処分の理由とされたのは原告の行動そのものであつたと認めるべく、この認定を動かして原告の政治的信条のみを問題視して本件処分がなされたことを立証するに足りる資料のない以上、原告の右主張もまた採用の限りではない。

第三  結論

叙上のとおり本件処分を無効であるとする原告の主張が全部是認されない以上、その主張を前提とする原告の本訴請求は既にこの点において理由がないことになるので、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

東京地方裁判所民事第一九部

裁判長裁判官 桑 原 正 憲

裁判官 北 川 弘 治

裁判官西山俊彦は転補につき、署名押印することができない。

裁判長裁判官 桑 原 正 憲

別表第一、第二、第三(省略)

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